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お久しぶりでございます。そろそろ桜のシーズンですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は本日叔父一家が遊びに来たので、近所の食べ放題店で暴飲暴食の宴をしてきました。桜なんぞ誰もこれっぽっちも見ていないところが我が一族らしいと思います。

本日はまず、数年来書き直したい書き直したいと呪詛のように唱え続けていた生ける黒歴史こと「人物紹介」ページにやっと改稿版をアップすることができたのでご報告に参上しました!
まあとりあえず二本松少年隊関係者からはじめるのが穏当だろ…というわけで、本日アップした全面改稿版は

木村銃太郎
二階堂衛守
岡山篤次郎
成田才次郎
小沢幾弥

の5名分です。よろしくね。
他の人物(大体おっさん)についても今後順次アップしていきますので、それまでは書式の不一致などお見苦しい限りですがご容赦いただければと思います。
今回の5人についての文章をサイトに初掲載したのはいずれも2012年頃だったと思いますが、そりゃ5年ちょいも経てば方々から新しい情報だって入ってきます。筆者だって色々と考えが変わります。
そういった諸々の新情報と過去の自分の浅薄さに対する憤懣をキーボードにぶつけまくった結果、おそらく閲覧者の方が軽く引くんじゃないかってくらいそれぞれの文章が長くなりました。
なんなら銃太郎先生と衛守さんのページの文字数を併せると、ちょっとした卒論レベルになります。
それでも良いよというマリアナ海溝よりも深い慈愛をお持ち併せの方はお読みくださった上でご意見・ご感想等お伝えくださると私が泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。
ちなみに、今回から大きく変更した点は、注釈を付けてみたとこです。
伝承と史料に裏付けられた史実、創作の垣根が曖昧なところがあるのが二本松藩の幕末史ですので、検証可能性をちょっとでも高めてみようかな、と軽い気持ちで付け始めたら最後、地獄を見ました。
何がどう地獄なのかはご覧いただければビジュアル面から大体わかると思うのですが、ここでは特に「どの資料を引用元として明記すべきかメッチャ迷った」ことを挙げさせていただければと思います。
というのは、特に二本松少年隊関係って、大体同じような内容を同じような文章で書いた本が何冊も出ていて、しかも(矛盾するようですが)同一著者のものにも関わらず細かいところが本によって違ったりするんですよね。だから何冊もの本に同じことが書いてある場合はこれらの本を全部列記しないといけないのかと悩んだり(結果的に心が折れて「等」と表記することで逃げた)、細かいところに差異が生じてる場合はどちらに拠るのが適当なのかと悩んだりしなくてはならなかったわけです。
特に木村道場の出陣日時の件と才次郎の叔父さん(篠沢さん)の下の名前あたりで3日間くらい苦悩してました。こんなことで悩んでるのは世界広しといえども私くらいだろう…と思ったところで全くプレミアムな気分にはなりませんでした。

しかし、それでも人物紹介を書くのは楽しいですね。
結果的に私は春休みのほとんどをこの改稿作業に費やしたわけですが、恋人のことだってここまで思い悩むことはないだろうってくらい寝ても覚めても現在改稿中の人物のことを考えまくっていた一か月半でした。
ここで考えたことを全て文章にできれば良かったのですが、さすがに「衛守さんってもしかして三春に親戚(妹?)が居るんじゃね?」(内藤家墓所内大谷志津さんの墓碑より)みたいな、明らかに検討材料不足のことはさすがに書いてません。でも、改めて書き直したことで今まで自分の中で抱いていた人物像にちょっと変化があったりして、もっと二本松藩のことが知りたくなりました。

なお、「それは間違いのあるのは当然だ、若しなかつたら、それこそ奇蹟というべきだ。間違いの有る無しなんて気にすることはない。何でも大胆に、勇敢にやつてしまわれたいのである。大体さえ出来てあとは追々に直して行くまでのことさ」(『二本松寺院物語』、505ページ。二本松藩史編纂時に平島郡三郎が大内逸堂から言われたという言葉)という金言もあることですし、改稿してもなお私の文章には色々な誤りが含まれていると思います。
ですので、「追々に直して行く」ためにもお気づきの点があればご遠慮なくお知らせくだされば幸いです。



以下近況。
さて、私事で恐縮ですが、この度大学院を無事修了し、4月から働き始めることになりました。
ページ数しか褒める所が無い修論を書いた上に口頭試問で盛大にトチった私を修了させてくれた先生方にはいくら感謝しても足りませんが、ひとまずめちゃくちゃほっとしています。
大学院…本当に嫌いだったなあ…。
院の授業に魅力を感じなかったとか論文のテーマに自分で自信が持てなくなったとか院の学風が合わないとか周囲の院生がやべえ奴ばっかりだとか
というか自分が学問に向いてないことに今さら気付いた
とかいうことは度々あちこちで申し上げてきた通りなのですが、それらに対するストレスが高じて修論シーズンには謎の蕁麻疹が連日生じる上に毎日無限に髪の毛が抜けるという地獄の様相を呈していたわけです(ちなみに最近抜けなくなりました)。
とはいえ、だからといって大学院に行かなければ良かったかといえばそのようなことも無いと思うのですよ。私は確かに専門分野についてはクソみたいな集中力と実力しか発揮できませんでしたが、「大学院生」という立場によって得したことは色々あったので。(一例:大学図書館の書庫に自由に入れた)(人はそれを職権乱用と呼ぶ)
というか、それ以前に学問に向いていないということに気付けただけでも私は院に行った意義は大いにあったと考えています。
私は別に勉強が嫌いなわけではありませんし、むしろ学部時代の勉強は楽しくて仕方がなかったクチです。自分の興味があることだったら文章を書くことも本を読むことも資料を集めることも苦になりません。
でも勉強と学問は違いますし、研究にしても、自分の好きなことを好きなようにできるのかというとそういうわけでは無いんですよね。
学部では(少なくとも私が在籍していた学部では)、単純に自分の知りたいことを知りたいように、自分の糧になるように学ぶことができました。だからまだ無責任に楽しんでいる余裕があったと。
対して大学院では自由度は上がったはずなのですが、その分人と対話する機会が増えました。つまり、自分が学ぶことの社会的意義を意識させられることがとても多かった。何故それを研究するのか、それを研究することにどのような意義があるのか、という問いかけに応じるには当然ながら学部時代よりも深い見識が要求されましたし、それらに理路整然と対応できるほどの自信と実力があらゆる面で私にはなかった(というか、学問の底の深さを目の当たりにした上に最近のトレンドに違和感を感じた結果修士1年の秋あたりでなくなった)わけです。
大学院生が目指す職業が本来は研究職であり、研究職が「職」である以上、知に対して意義を求められるのは当然のことで、これは偏に私の力不足なんですよねー。
要するにおまえは2年間も親の脛をかじってモラトリアムを継続していたのかと言われれば返す言葉もないですが、私のような周回遅れの人間にとってはその程度の気付きでさえ実際に体験してみなくては得られなかったのかもしれないのですよ。だから私は大学院が大嫌いでしたが、行って良かったとは思っています。
あと、(大多数の人は専門を究めるために院に進むと思うのですが)私のように学問ってなんじゃいなということを知りに行くというのもまあアリなのかもしれないな、とも思ったので、これから進学を考えていらっしゃる方はこんな奴もいたっけな程度に参考にしていただければ。

そういうわけで研究職には向かないことが判明した私ですが、社会人として自分が社会に適応できるかといえばまだまだ未知数すぎて何ともいえません。今度は「嫌だったらやめる」がなかなかしづらいことは重々承知ですので、愛憎相半ばする実り多い大学院生活を支えてくれた家族に恩返しするためにもとにかく前向きに頑張りたいと思います。

まあ、そんなことを思っていた矢先に足を派手に捻挫し、早速行く手に暗雲が立ち込めてるわけなんですが。(アホのきわみ)

この春休みには二本松に二度ほど行きまして、いつも通りあちこちをガサゴソと探索していたんですけど、二度目に行った際に霞ヶ城の階段を踏み外して8年ぶりに松葉杖をつくことになりました。大事をとって色々なことを自重した甲斐あってたぶん仕事には差し支えないと思うのですが、何かもう変な笑いが止まりません。
この20年来ありとあらゆる階段を踏み外してきた階段ソムリエ(そして病気で医者にかかることはほぼ皆無のくせに整形外科には人一倍お世話になる)の私ですから、お城山の階段が「私が踏み外すタイプの階段」だということは結構前から何となく予期してはいたんですよね。むしろ良く今まで無事だったなと…。
とりあえず本格的に仕事が始まるまでに足をなんとかするのが当面の目標です。(低レベルすぎて家族にも世間にも顔向けできません)

最後になりますが、この2年間精神的に追い詰められかけた局面も多々ありましたが、それを乗り越えることができたのは趣味の力によるところが大きく、何より当サイトやTwitterを通して私と遣り取りをしてくださった方々がいらっしゃったからでもあります。(いつも言ってることではありますが、何度言っても言い足りない)
皆様本当にありがとうございました!
そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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2018.03.31 Sat l 更新情報 l コメント (0) トラックバック (0) l top
寒いですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。お風邪など召されていませんでしょうか。
先週は私が住む東京でも大雪になりまして、その雪が溶け切らない中を寒波が襲い、おかげさまで路面がツルッツルです。
庭先に置いてるメダカの水鉢も表面が1センチくらいカッチコチに凍り付きましたが、先ほど覗いてみたところ氷の下をメダカが泳いでいくのを目撃しました。あいつら不死身。

さてさて、そんな中ではありますが私はなんとか修論を提出し、また免許もなんとか取り、急に訪れたでかすぎる自由を若干持て余しつつまた二本松藩について調べたり書いたりする時間がとれるようになってきました。
というわけで「今を生きる黒歴史」(学部時代どころか高校時代に書いた文章がそのまま掲載されてたりするんですよねこのサイト…情報量が少ない分派手な間違いはそこまでないと思いますが文章がたどたどしくて恥ずかしい)状態と化してるわが「青空亭」の改稿作業に少しずつ手を入れております。

その手始めとして本日は「資料」ページを全面的にリニューアルしました。

…まあ、本質的に何かが変わったわけじゃないんですけどね。ここ1年で新しく読んだ書籍を追加し、今まで何故か掲載していなかった参考「論文・報告書」「史料」「雑誌記事」「パンフレット・リーフレット・図録類」を放り込んで、今まで順不同でごちゃごちゃしてた並びを規則性(著者の名前順・年代順)あるものに変えたという程度です。あと、一部資料について別窓で飛び出してた概要文についてはこちらも改稿したいのでしばらく利用できなくなってます。ご了承ください。
でもとりあえず情報量だけは確実に増えたはずなので、皆さんの楽しい二本松藩探求ライフにお役立ていただければ幸いです。

ただコレあくまで「私がサイトを作るために活用した資料」をまとめたものなので、二本松藩についての資史料を網羅できているかといえばまったくそんなことはないです…。というか、そもそも私の手許の資料でさえ上げ切れてなかったりします。公文書類のリストアップが間に合っていないというのもそうなんですが、例えば「二本松藩に一瞬だけ言及した論考を掲載した『郷土ひたち』はどこに分類したら良いのか?」「白河市報は新聞記事に含まれるのか?」「大学図書館の書庫にあったアレは史料に分類すれば良いのか?」と迷った末にあとで考えようとのっけてなかったりしたのがちらほら…。(そもそも忘れてるのも多分ちらほら…。)
下手に分類しちゃったおかげで自分で自分の首を絞めまくる結果になった気がします。
あとは、存在自体は知ってるけどまだ入手してない資料も今回は載せてません。載せた方が利用者の役には立つのかなーと思うのですが、一応参考文献リストも兼ねてるので。
このちゃんと読めてない資料の存在に改めて気付けたのは今回の個人的な収穫でした。論文類なんて特にひどくて、下の画像内で黄色に着色されてるのが全部「存在自体は知ってるけど入手すらできてないやつ」ですからね。
どうしたらええねん

論文を書く上でも何故か参考文献リストを書くのがめちゃくちゃ苦手な人間にとってはなかなか大変な更新作業でした。
今度はいよいよ黒歴史の核心部分みたいな「人物」ページや「戊辰」ページの改稿に取り組んでいきたいと思います。

おまけ。
大学図書館の蔵書検索システムで論文類の情報を調べ直している時に見つけた記述。
菊松くん何やってるの

菊松くん執筆活動しとったんかい

2018.01.29 Mon l 更新情報 l コメント (0) トラックバック (0) l top
年賀2018

…戊辰戦争150年目やん…。

あけましておめでとうございます
2018年、戊戌の年の幕開けでございますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は親戚の家に行って帰って修論書いてます。(どうでもいいです)
イラストは年末に書いた犬張子です。毎年家の年賀状のためにイラストを描いており、今年は犬張子を死ぬほど書きました。その中でふと心に浮かんだイラストです。私の精神状態の故もあるのかもしれませんが、モデルにしていた犬張子の表情が何かもの言いたげに見えてきたので…。(さらにどうでもいいです)

さて本年は戊戌の政変120周年だったり戌年つながりでいえば第一次南極観測隊がやむなくタロジロらを昭和基地に残していくことになった年から60年目だったりもしますが、現在何よりも社会の注目を集めているのは明治元年からちょうど150周年だということではないでしょうか?今日ポストに入ってた東京都報の都知事挨拶では「『江戸』が『東京』となって150年の節目」と表記されていましたし、「明治150年」「明治維新150年」「戊辰戦争150年」など様々な言い方があるとは思いますが、私にとってはやはり戊辰戦争150年ですかね。149年だろうが150年だろうが何が変わるものではないと思いつつも、ある一つの節目の年として、一先ずは心を新たに幕末の二本松藩に向き合っていくつもりです。(このあたりの抱負は昨日のブログ記事に書いておりますので、ご参照いただければと思います)
都知事挨拶には「記念すべき『東京150年』を都民の皆様と共に祝い…」とありましたが、ルーツの多くを旧幕府方に持ち、いつも二本松藩のことばかり考えている私にとってこの年を「祝う」べきかは微妙なところです。それでも、あらゆる人にとってあらゆる形で「節目」である今年、幕末・明治が多様な形態で語られることになるでしょう。そういったことを通して改めて学び、今年が終わるころには1868年という年について何か自分なりの結論を出せていればなあと思う次第です。

それにしても150年とは…随分と遠くなってしまったというか、書類の生年月日欄に平成(H)、昭和(S)、大正(T)、明治(M)に続いて慶応(K)の選択肢が無いこともそろそろ当然かというくらいになってきましたよね。でもこれでも250年も続いた江戸時代より全然短いですからね、日本近現代。この絶妙な距離感もまた、人々の心をあの時代に引き付ける要因の一つかもしれません。

ともかくも、幕末・明治に惹かれる多くの人にとって、今年は特別な年、そして忙しい年になるであろうことは間違いないですね!
皆さま、良い一年ににしていきましょう!
そして今年も当サイトとブログをよろしくお願いします!!
2018.01.01 Mon l 日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ブログを書くのが約1年ぶり…だと…(衝撃)

みなさま、2017年も最後の日ですがいかがお過ごしでしょうか。管理人です。2017年が地獄のような年になること、サイトもブログも休止状態になるであろうことは大体予測できていましたが、まさかここまで何もできないとは思ってもみませんでした。自分でも色々と驚いていますが、とりあえず本年1年間を振り返ってみたいと思います。

○就活してました。
本年私は修士2年生に進級いたしました。大学院の学問がこの上もなく肌に合わない(もしかしたら学校の学風があってないのかもしれませんがそんなことは知らない)ことは去年の内に判明済みでしたので博士課程には進まずとっとと就職することに決めた私ですが、それはすなわち就職活動をしなくてはならないということです。
そういうわけで、春~夏はただの地獄でした。試験に次ぐ試験でした。私の根性無しは皆さんご承知の通りなので、何度も心が折れかけてました。世間では売り手市場ぶりが騒がれてましたが、私にはあんまり関係なかったですね…。面接などの対人スキルというより試験が重視されたので世間様のアドバイスもあまり役に立たなかった(だがコミュ障にはありがたい)ですし…。なんというか、就活も色々なんだなあと思いました(小並感)。もう二度としません。
さんざん苦戦した末に第一志望のところから内々定をいただき、10月1日付で無事、内定を頂くことができました。
聞くところによれば修士課程を修了するとちょっとばかりお給金がよくなるそうなので、現在「この論文があとで換金できるんだ!」と呪文のように唱えて修論を書いてます。ただの下衆です。

○うさぎが死にました。
あれは忘れもしない6月19日のことだったんですが、我が家で飼っていたうさぎの「ムギ」が突然死んでしまいました。非常にフリーダムでふてぶてしいおっさんうさぎとして我が家に長年癒しを供給してくれていたのですが、あまりにあっけない最期でした…。殊に私は高校生以来ずっとその世話が日課で、喪失感はかなりのものです。その翌日は学校の授業に出られませんでしたし、今も折に触れては寂しい思いをしています。生きてた時には毎年大晦日は彼のケージの大掃除をするのが恒例になっていたので、寒い中ケージを水洗いすることなくパソコンに向かっているのはなんだか妙な気持ちです。
でもまあ、私はペットロス症候群といわれるような状態にはならないだろうとあの時思いましたし、実際今もなっていません。というのは、ムギとの暮らしはあまりに楽しかったからです。付かず離れず、でもふと見ればそこにうさぎがいるという日常の楽しさは言葉では言い表せません。楽しかったからこそ喪失感も大きいですが、何よりも「またうさぎと暮らしたい」という気持ちが大きかったことに他ならぬ私自身が驚いているわけです。
生き物と暮らすことの楽しさをその身を以て存分に教えてくれた彼に今さらながらの感謝を。
人慣れしてるくせに人に慣れ合わない、どこか「かわいくない」性格でふてぶてしい容貌だったムギのことを私は忘れないでしょうし、これからもずっと大好きでありつづけるでしょう。

○博物館実習に行きました。
学芸員課程を取っているので夏休みに博物館実習をしてきました。修論テーマとはかすりもしない地元の郷土資料館です。
本当はさあ、ここぞとばかりに二本松の資料館で実習できないものかなあとか考えたりもしたんですよ。
でも実習の受入やってるかわからないし(一応市のホームページとか調べてみたんですけど全く情報が載ってなかったので)、実習中の1週間福島県で暮らすのかよ…なんてすてkいや大変なんだ…というようななけなしの思慮があって地元の資料館に落ち着いたわけです。
実習を終えた感想としてはちゃんとした感想とちゃんとしてない感想がありますが、まずちゃんとした感想としては、「学芸員とて一職業人」ということを強く感じたと共に、その仕事の多様さを実感して驚かされたというものがあります。専門分野についての学識さえあれば務まるというものでは勿論なく、コミュニケーション力は必要となりますし、資料整理は時に体力勝負ですらあります。近年博物館をめぐる社会的情勢は必ずしも良好でないことを背景に、幅広い知識を要求されることもあります。世間の憧れの仕事ではありますが、憧れだけでは務まるまいなあと改めて思わされたというところでしょうか。
なお、ちゃんとしてない感想としては、「うちの地元の資料館の所蔵庫、田舎の古い家の倉庫みたいだな」「古文書見放題とか実習という名の天国かよキャッキャ」というのがあります。文字通りなのでそのまま流していただければと思います。

○教習所に通ってます。
約6年にわたる免許取る取る詐欺についにピリオドを打ち、内定が出た10月から地元の教習所に通っています。何故どヒマだったはずの学部在籍中に取らなかったのかといえば「ヒマ」を味わい尽くすことに注力していたからです。決してめんどくさかったからとかそういうことはありません。
でもいざ運転してみたら、私の運転センス壊滅的だったのな…!
最近幾分かマシになってきましたが、昔から空間把握能力と反射神経のなさ故に度々それなりの怪我をしてきた私に「車体感覚」などというものが捉えられるわけもなく、ダメ出しの嵐です。いっそ笑えよ。
それでも何とか仮免試験には(ギリギリで)合格しまして、現在路上教習中です。1月中には卒業検定にこぎつける予定です。

東京都内某所にお住いの皆さん、マジで覚悟してください。一番免許を取っちゃいけないタイプの人間が野に放たれようとしています。

それにしても車って理不尽すぎやしませんか?生身の人間には絶対持ちえないような物理的パワーを持ってる鉄の塊なわけで、だからこそちょっとでもぶつかれば大惨事なわけで、それなのにミラーにも映らない死角が前後左右にメートル単位で存在してるわけです。何なんだよそれ。理不尽という概念の具現化か何かかよ。

○修論書いてます。
在籍中の大学院は研究科大学院ですので、修了には修士論文の執筆が必須条件となります。それはわかりきっていたことです。だから去年以来ゼミ発表などを通して着実(笑)に準備は進めてきました。だがいざ書いてみるとなると思うようなものが書けないのよな!
私は書くことが大好きです。こまごましたことを一次資料にあたって調べることも(どっかの某藩に鍛えられたおかげで)まったく苦になりません。
ですがそもそもの論文テーマに全く魅力を感じていないわけです。大学院に行っている間に私の興味が色々と変わってしまったことや大学院の学風が合わないこともあって全くやる気が起きません。「この論文が後で換金される」という下衆な暗示(前述)や「修論後にやりたいことリスト」の作成で何とか自分に鞭打ってます。
そういうわけで、鼻紙にもならないようなクソ論文を日々せっせと書き綴っております。枚数だけは無駄にあってとっくに100枚を超えているので一番たちがわるいやつです。そろそろ収集をつけたいのですが、私の意思に反して書けば書くほど書くべきことが増えていくスパイラルに突入し(友人も似た状況だそうで笑ってしまいました)、全く終わりが見えません。
たすけてください。
これはもうふつうにたすけてください。

○本年の二本松藩的成果
なんの成果も得られませんでした!!!!
…と言いそうになりましたが、考えてみればそうでもなかったんですよね。9月に1回二本松行ってますし。1回しか行けなかったと言ってしまえばそれまでですが、修論の進捗がダメダメな中、無理やりとはいえ1回「も」行けたこと、おそらくは人生最後になるであろう夏休みの最後の日を一番大好きな場所で過ごせたことに感謝すべきなのでしょう。なんかずっと墓石と睨めっこしてましたが、それで得られた情報はかなりのものでした。
それに、今年はテレビで二本松藩見られたしな!!!
8月にやったファミリーヒストリーのオノヨーコさん回、皆さん見ました?オノヨーコさんの母方の曾祖母(嘉與さん)が二本松藩士の娘だった、っていうアレ。すごかったですよね。税所篤人(ヨーコさんの母方の曾祖父。備前藩の軍監)と父を喪ったばかりの嘉與が落城直後の城内で出逢う…という伝説がイラスト(※箕輪門が超リアル)で紹介されてたし、郷土史家の先生のご自宅や大学で所蔵されてる史料などにあたって伝説の真偽を調べるという構成だったし。正直「そんな伝説があるらしいよ」程度で終わるものだと思っていたので個人的には大喜びでした。再放送録画しました。
結局篤人と嘉與が戦場で出会ったというのは「伝説」であった(税所篤人は二本松城下戦に参加しておらず、嘉與と弟の目の前で自刃したとされてきた丹羽求馬は戊辰戦争以前に既に死亡していたと考えられる)ことが番組の調査で明らかになっていましたが、いやー、ほのさんは焼け野原で運命の出逢いを…という可能性がワンチャンあると思うなー。篤人さんは冬あたりに二本松に着任してますが、その頃には各地に避難してた二本松藩士やその家族も城下に戻って来てるわけですもんね。(※妄想です)
個人的に「丹羽求馬(300石取)の子」「10代の姉弟」「岡山に連れ帰る」というあたりでちょっとばかり想像される人物がいる(※放送当時Twitterで語ったことに飛びますが、あくまでも決定的な裏付けがあるわけではない点にご注意ください)わけですが、決定的な裏付けがとれているわけではないので、修論終わったらまた調べた上で考察してみたいと思います。こういうのは自分だけでうだうだと考えていたところで資料的な限界のせいで結局結論にたどり着けないことはわかりきってるので、あえて考えを公表して皆様のお力を借りようと思う次第です。皆様はどう思いますか?
あと、修論の合間を縫ってサイトの改稿はしてます。色々調べているうちに書き加えたいことが色々と出てきたので、加筆中心の作業です。まだ載せてないけど。ある日ふと気になって数えてみたところ、人物紹介ページの二階堂衛守の改稿版はまだ書きかけですが6000字を超えていたことがわかりました。
…この熱意の半分でも修論に向けられてたらよかったのにね。(修論の字数はなかなか伸びない人)
世間的には典型的な「名もなき人」である二本松藩士たちだって、実際調べていけば「書くべきことがなにもない」人なんて一人もいません。フランスかどこかの研究者で全く無名の、何も「功績」を残さなかったある近世の木靴職人(でしたっけ?)の一生をどこまで詳細に追えるものかというチャレンジをした人がいらっしゃいましたが、最近の私の興味と理想はそちらの方面に移りつつあります。一人の人間の生、その集大成の歴史はどんな規模・性質であろうとも現代の学問的潮流や社会的関心事と無関係にかけがえなく尊いはず。何の役に立つのかとかそういう意識は抜きにして、一度過去の人たちの生そのものに向き合ってみたいのです。院の先輩に「大きな歴史」「小さな歴史」という言葉を使って「小さな歴史」を「大きな歴史」に無理やり接続する必要性はあるのか、あるとすれば何なのかと問いかけていた方がいまして、それを学界で実践することについては私はやや異論がある(誰もが「小さな歴史」それ自体を追及してたら学問分野が細分化されすぎて対話不能に陥るし、現代の「課題」に示唆を与える途も狭まる)のですが、その考え方自体はとても示唆的でした。私には学問の世界で「小さな歴史」に取り組む力量はありませんが、郷土史のフィールドならまだ可能性があるような気がします。だから来年は自分の関心事たる二本松藩の歴史にこの2年間で得た手法を使って取り組んでみたいんですよね!!(仕事は?)
殊に来年は戊辰戦争150周年。一つの節目の年となります。だからこそこの1年が終わるまでに、慶応四年という年の二本松藩とそこに生きた人々を、私が出来得る限り生き生きと、「あったことをあったように」描き出したい。それが来年の目標の一つです。

総括:とんでもねえ年(当社比)だったな。

とにかく本年は怒涛の一年でした…としか言えません。あくまで私基準で「大変」だっただけですしもしかすると「このレベルで何が大変なんだ…」と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、お察しください私のスペック。大晦日になって「やり残した!」と思うことは沢山あるのですが今年は殊に沢山ある気がします。
ついに社会人になる(予定の)来年がどうなるのかは全く慮外のことですし、良い年にできればとは思いますが、今日の時点であまり多くは語りますまい。
ただ、私にとってとても思い入れのある多くの人たちの150回忌でもある来年、悔いの残る年にするわけにはいかないなという気持ちは強くあります。

そういうわけで皆さま、本年もどうもありがとうございました!
来年も当ブログと(今度こそ)おそらくは文章量が倍くらいになるであろうサイトをよろしくお願いいたします!
2017.12.31 Sun l 日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top
あけましておめでとうございます!!
本年も当サイト・ブログをよろしくお願い申し上げます!


昨日のブログにも書いた通り、今年はかなり忙しい年になりそうです…・。
サイトやブログの更新など、二本松藩充することについては今の時点であまり期待が持てないのですが、ともかくやらなくてはならないことにきちんと取り組む一年にしたいと思います。

とはいえ、やはりできる範囲で二本松藩充もしていきたいですね。
殊に本年2017年は酉年!

酉…鶏…にわとり…にわ…丹羽様……

というわけで、今年も丹羽様を一生懸命推して参りたいと思います。(超こじつけ)

まあそれはそれとして、酉年といえば戊辰戦争当時数えで8歳、20歳、32歳、44歳、56歳、68歳、80歳、92歳…の人が今年の年男年女ということになります。
私がぱっと思い付く戊辰当時の二本松藩士たちだと、

戊辰時20歳(嘉永2年生まれ・己酉)…和田悦蔵・木滝満次郎 等
32歳(天保8年生まれ・丁酉)…三浦権太夫・高根三右衛門(寿棋)
56歳(文化10年生まれ・癸酉)…大谷与兵衛(元清)・服部久左衛門

というところでしょうか。(8歳、44歳、68歳…の人はちょっと思いつきませんでしたごめんなさい)
かくいう私も酉年です。癸酉です。
自分の干支であるということもあって何となく見てみた干支占いによると、酉年の人間にはおおよそ次のような傾向があるらしいですね。

・聡明で頭の回転が早い
・派手好き、遊び好きに見える(実はそうでもない)
・負けず嫌いでプライドが高い
・こだわりが強い完璧主義者。妥協性に欠ける(利己的)
・強運

一体どこの世界の酉年生まれの話をしているのでしょうか?

…と言いたくなるくらい何一つとして私自身に当てはまらずちょっと悲しくすらなってきました。

また、今回調べてみてはじめて知ったんですけど、この手の占いは十干十二支でさらに性格傾向を細分化することもあるらしいですね。
酉年だと、

・癸酉…家鶏。穏やかで安定している
・乙酉…水鶏。消極的だが欲もある
・丁酉…闘鶏。闘争心旺盛で勝負師気質
・己酉…野鶏。穏やかだが自由で派手
・辛酉…軍鶏。真面目だが時に勇士

というようになるとか。ほー。
ちなみにここまで語っておいて何ですが、私は干支占いは基本的に信じません。それを言ってしまうと星座占いとか血液型占いもということになってしまうんですが、正直同じ干支の人間というだけで性格が似てくるってそもそもおかしいじゃないですか。
まあ同じ干支の人間=同い年の人間と考えるならば、社会情勢の影響を人生の中の同じようなタイミングで受けることになるわけですから性格の素地にある程度の共通傾向が生じるとしてもそれほど不思議なことではありません。そういう意味で、十干十二支で60通りの性格を示す形の占いにはある程度の妥当性があるようにも思います。

でもさあ、それじゃ60年周期で共通の性格傾向が生じる理由が説明できないじゃないですか。
例えば平成5年(1993年、癸酉)生まれの私と文化10年(1813年、癸酉)生まれの与兵衛隊長が性格に共通傾向が生じるほどに類似したライフサイクルを送っているとはさすがに思えないわけですよ。

また、たとえ先ほど言った通りに社会情勢の影響が性格の素地に影響を及ぼすとしても、それは生育環境などの他の条件による影響の方がもっと大きく出るはずだと思うんですよねー。

でも。
でもですよ。
一方で不覚にもちょっと納得してしまったことがありまして。
「こだわりが強い」ってさっきあったじゃないですか。
それはつまりあれですよね。

自作にふさわしい筆記具なら他にも色々ありそうな中で何故か脛毛の筆を作ってしまうとか、

戊辰戦争の時代にあって烏帽子直垂という微妙にマニアックな戦装束を選んでしまうとか、

鉄砲が戦の勝敗を決する時代にあってあえてメインウェポンに弓を選んでしまうとか、

なんかそういうことですよね?(たぶん違う)

上述の酉年の特徴とやらは自分には全く当てはまらないんですけど、悉く三浦権太夫の逸話を連想させるような気がしてちょっと笑ってしまいました。これは干支占いがすごいのか権さんがすごいのか…。どっちなんだ…。

さて、皆様はどう思われますでしょうか。
先ほど挙げた二本松藩士たちのイメージと干支占いによる酉年像、合致してますでしょうか?
私は干支占いを調べてみても結局あまり信用できずに終わってしまいましたが、一方で歴史上の人物のパーソナリティーに思いを馳せて面白くなってしまったのもまた事実。

…というように、本年は様々なことに柔軟に接していければなあと思う次第です(超こじつけ再び)。

それでは新年早々グダグダで申し訳ありませんが今日のところはこの辺で!
近日中に何かお年賀画像を追記できればと思います。
改めて、今年もよろしくお願いいたします!
2017.01.01 Sun l 日常 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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