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あけましておめでとうございます!
ことしもよろしくお願いいたします!!

(画像は年賀状の没絵です)
(謎の状況)

画像のとおり、今年は子年なわけですが、子年といえばやはり「子年の御騒ぎ」(天狗党の乱)ですかね?
去年一昨年と戊辰戦争について考え続けてきましたが、折角なので今年はその前段階の展開にまで視点を広げていきたいですね!!(今突然思いついた目標)
二本松藩について色々と考えてはいるところ筆が追い付かず歯痒い思いをして久しいですが、今年はもう少し色々なことを書いていければと。手始めに2019年のまとめを近々ブログに挙げる予定なので、もしよろしければ気長にお待ちいただけると嬉しいです(早速間に合っていない)

「続きを読む」以下は拍手コメントへのお返事です!
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2020.01.01 Wed l 未分類 l コメント (1) トラックバック (0) l top
 …を、サイトにアップしましたので、ご興味おありの方はこちらからどうぞ。
左側メニューバーの「★二本松藩戊辰戦死傷者名簿」がそれです。

久々のサイト更新でございます。本当は戊辰150年にあわせてアップできればよかったのかもしれませんが、次々と新しい情報が出て来るので書き足し書き足ししていたらこんな頃合いに…。

元々は自分用に作っていたものでしたが、二本松藩の戦死者戦傷者について調べている人の手掛かり程度にはなるかもと思ったので公開します。全て既公開の史料から作成しているので個人情報的なアレは大丈夫だと思いますが、なんかマズイのがあったらご連絡下さい。すぐ消します。
なお、閲覧に際しては以下の点にご注意くださいませ~


名簿は読み物です。
なるべく一人一人の「顔」が見えるような名簿があったらいいのになーという気持ちだけで作ったので、一種の読み物としてお考えください。ちゃんとした統計や「データ」がほしい人には向かないです。ためしにコピペでExcelに落とし込んでソートをかけたりしてもらえればわかると思います。大変なことになります。
あと、二本松藩の戦死者戦傷者カウントについて疑問に思った点をなるべくそのまま示そうと思ったので、公式に示されている死者や負傷者以外の人もどんどん放り込みました。
なんなら「この人絶対戦死してないだろうな…どこかで生きてるな…」「これは負傷っていわないだろ…」と思いながらあえて入れた人もいます。
これまでの研究成果ガン無視。

区分が曖昧です。
あとそもそも私が個人で作ったものなので、記述の精度もさりながら区分とか定義が激曖昧です。
特に「戦死」「戦傷」「戦傷死」「戦病」「戦病死」の区分。
表中にも記載していますが、これは一応旧陸軍が定めた定義を援用しています。特に深い意味はなく、アジ歴で「戦傷死 定義」とかいう雑検索したら出てきたからです(適当オブ適当)
(ちなみに陸普第6331号がその後解釈を広げられたり内国における定義が再考されたりしたことは知ってるのですが、訂正版は「前号ノ戦傷ニ拠リ陸軍病院又ハ之ニ準スル機関ニ収容セラルル迄ニ死亡シタルを戦死ト謂ヒ…」と汎用性が微妙に低下してるので無視しました。陸軍病院て。狭義の意味では幕末にそんなもんねえわ)
ですがもちろん私は軍医さんや当時の調査担当に話を聞いたわけではないので、ある死が戦死なのか戦傷死なのか戦病死なのかなんて、本当のところはわからんのですよ。
というかたぶん当事者たちもよくわからなかったと思います。
そんなわけで「傷が元で死亡した」とか「傷が治らず死亡した」「退いて後に死亡した」とか書かれてる人はとりあえずぜんぶ戦傷死者扱いにしたというザックリっぷり。

そして安定と安心の
誤字。
減らす努力はしましたが、正直無理です。元史料からしてすごい誤字なので、そのへんはもうハンドメイドの御愛嬌みたいなもんだと思ってください。
なお、いつものことですが誤記もそれなりにあると思うので、既存の資史料は必ず参照してほしかったりするわけです。ネットの情報を鵜呑みにしちゃダメやで!!


それにしても、「レスポンシブ・webデザイン」(スマホとかからも見られるようにすること)なるしゃらくせえ単語に踊らされて表を横スクロール対応にしたら、ページ自体が鬼のように重くなったんですが…?

そもそもこういう情報量の多い横長表自体、最近のIT環境に適合してないのかもしれません。
こういうのこそ紙媒体にすれば良いのかもしれませんが(せめてPDF化して貼っておくとか)、そこは今後も随時更新していきたいので、あえて地獄のように重いHTMLファイルをアップロードする次第です。
色々調べてはみたんですけど、情報の薄さがどうにも残念なので、そこんとこ特に。
武士は良いんですよ。「諸士元帳」とか「藩士元籍」とかあるし、なんなら「広瀬静樹家文書」は武士に関する記録の塊だし。(さすが大目付!)
問題は足軽や農兵の皆さんですよ。
彼らだってめちゃくちゃ頑張っていたであろうことは記録の端々からにじみ出てるのに、「どんな人だったのか」「どんな風に命を落とした/傷ついたのか」がわかる資料に欠けるんですよ!
さしあたって、農民なら人別改帳がどこかしらにあるはずなので、今後は自治体史収録版だけじゃなくて、原本にもあたることができればと思っています。(二本松藩領仁井田村はこの点、全国に誇る人別改帳の残存率やで!)
たぶん今後も全ての「空欄」が埋まることは無いと思いますが、一つでも減らしていく努力はしたいと思っています。
もし「おらよ、この情報抜けてんぞ」みたいなのあれば教えていただけると嬉しいです(突然の他力本願)。


さて、ここで二本松藩の戦死者戦傷者名簿についてちょっとだけ。
二本松藩の戦死戦傷者名簿といえば徳田雅言(鉄吉の叔父ちゃん)が作成した「戦死姓名簿」(二本松市史4収録)や二本松藩史の「戊辰役死傷者一覧」(二本松藩史収録)がよく知られていると思います。
あと最近は「戦死手負集録」(本宮町史資料双書2収録、原本?は東北大学附属図書館蔵)の記述の詳しさも注目されているのではないでしょうか。
大目付が戊辰戦争中に作成した「戦死者覚」や「各地出張諸士の報告」(ともに広瀬静樹家文書。福島県歴史資料館蔵)は何せ大混乱の中で作られたものなので情報の精度に難がありますが、個人の死の瞬間が伺い知れてたいへん価値があるとおもいます。

もし万が一、私が作った適当名簿を見た上で一瞬でも「ちゃんと知りたい」と思った方がいたら、いずれはゼッタイにこれらの資料も読んでほしいです。
なんたって、私が適当に作った名簿とは、調査にかけられた時間も熱意も全然違うもの。
私は確かに私なりに幾つかの名簿を見比べたり他の資史料から得た情報を付け加えたりしましたが、それはあくまで元になるものがあったからこそできたことです。いわばつまみ食いです。
だからつまみ食いの名簿で納得はしないでほしいです。

戦争にしても災害にしても、死傷者は数ではなく、その名で呼ばれないといけません。
今回アップした名簿はなんちゃって名簿ですが、どこかの誰かがかつての死傷者の素顔を知りたいと思う、その切っ掛けの切っ掛けくらいになれればなーと思っています。
2019.12.18 Wed l 更新情報 l コメント (3) トラックバック (0) l top
とりあえず、行ってから1年以上経過して旅レポを掲載するような醜態を晒さずに済んでよかった。(ギリギリセーフ)
どうも、ご無沙汰しております。
Twitterがあると、そちらで軽く触れただけで満足してしまう傾向があるので大変よくない。
かなり前に書いてはいたのになかなかアップできずにいたこちらの記事、正直もう掲載しなくて良いのでは?と思っていたところなのですが、折角なので上げるだけは上げておこうと思います。
それでは聞いてください、ほぼ1年前の催し物の感想。時は2018年11月3日のことであります。

相変わらず長いので、「続きを読む」からどうぞ~
2019.11.02 Sat l l コメント (3) トラックバック (0) l top
ボーっとしてたら平成が終わりそうになってた・・・。

最早「遅筆ですいません」という言葉も白々しいくらいの遅筆であります。
明日から令和ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年の正月あたりに「まだ戊辰150年終わってないよねw」という謎の言い訳を書き残してから早3か月、戊辰戦争の終点を五稜郭の陥落に置くにしても、いい加減ヤバくなってまいりました。
だというのに、まだ去年のあれこれについて纏められておりません。
前置きはいくら書いても同じことですからもうこの辺にして、早速本題に参りましょう。ご興味ある方は「続きを読む」からどうぞ。
2019.04.30 Tue l l コメント (5) トラックバック (0) l top
あけましておめでとうございます!!
2019年もどうぞよろしくお願いいたします!!


なんとか松の内にご挨拶が間に合ったことにほっとしております。今年の目標は「何があっても自分を飾らぬ」なので、今後一層当ブログは無礼講の様相を呈すると思われますが、呆れずにお付き合いいただければ幸いです。
では早速ですが、大みそかの続きで今度は7月29日の墓前祭とその後の丹羽家ご当主講演会についての話をさせていただければと思います。

読んでくださる方は「続きを読む」からどうぞ!
2019.01.06 Sun l l コメント (0) トラックバック (0) l top