fc2ブログ
こんばんは!
ここにきて学校の課題が鬼のように課されてちょっと困ってる素月ですよ!
ギリギリまでやらない自分が悪いんだけど、ギリギリにならないと身体が動かないこの性分が直らない!

というのは置いておいて、本題へまいります。

去る11月2日、二本松へ行ってまいりました!
今日は遅ればせながらその時の旅行記をお送りしようと思います。

さて、前々から菊人形と特別展行くんじゃと意気込んでいた私ですが、11月は結構用事が詰め込まれていて、もしかしたら菊人形行けなかったらどうしようともちょっと思ってました。
でも1日の金曜日に、2日3日と何の予定も入っていないことに思い当たりまして。そうだ、二本松行こう!と突如決めて新幹線の切符取りに行きました。
…ですけど、あの日って三連休の初日だったじゃないですか。やっぱり朝の新幹線混んでましてね。私が乗ろうと思ってた新幹線満席だったんですよ。

ところがどっこい!神は私に味方した!

なんと、手続き中に偶然一席キャンセルが出て、無事そこを確保することができたのでした!
日頃の行いが良いからかな!そうかな!!(どの口が)

おかげさまで、無事当初の予定通り二本松に到着することができました。

二本松行ったらとりあえず戦死群霊塔に線香をというのが最早習慣化しているためまず大隣寺に向かいましたが、その後、今回はふと思い立って大壇口に行ってきましたよ。
どういうコースだよ!って感じですが、素月ほのの思考の87%はその場の思いつきと直感で成り立っております。

大壇口、二勇士の丘。紅葉してます。
偶然人が居なかったので、一人でかつての戦に思いを馳せてしんみりしておりましたよ。
かつてとは全く景観が変わってしまった大壇口ですが。
あと、すごいどうでもいいんですけどなんでここ「二勇士の丘」っていう名前なのに建てられてる碑の殆どは二勇士関係ないものばっかなんだろうなあと何度目とも知れない思索も繰り返しておりました。
別にいいんですけどね。実際二勇士の顕彰碑建ってるし、響きが「英雄の丘」っぽくてカッコイイし。(黙りな)
かつてこの名称のせいで母に「この丘駆け下りて斬り込んだってこと?」というビミョーな質問をされたのは最早いい思い出です。

…違うんだよかあちゃん…。彼らは街道脇の茶屋から飛び出して斬り込んだのさ…。

しかし、今回はじめて歩いて大壇口まで行ってみたんですが、思ったより遠いッスね…。
自転車がないことがなんか恨めしかったです。(自転車依存症)
でもまあ、大隣寺からとか駅からとかなら割と歩けるんですよ。
でもね!城下戦の時に高田口から大壇口に駆けつけた奥田午之助は凄いね!
やるな健脚くん!

さて今回は、今まであまり行っていないところをのんびり巡ってみるつもりでおりました。
というわけで、大壇口の次に向かったのは称念寺。
やっぱりどういうコースだよって感じですが、素月ほのの思考の87%はその場の思いつきと直感以下略。
称念寺自体は行ったことあるんですが、よく考えると私畠山家墓所行ったことねえわ!と思って見てきました。
…と同時に、ちょいと目当てがございましてね。
というのは、二本松少年隊士の木村丈太郎の墓所を訪れてみたい、という。詳しい経緯を話すと長くなりますが、彼は私が二本松藩を知ったきっかけみたいなもんなんですよ。
そんなこともあって機会があれば一度その墓所に手を合わせてみたいとずっと思っておりました。
とはいえ、木村家の墓所があった心安寺は廃寺となってしまったお寺です。
一体今墓所がどこでどうなっているのか今ひとつわからず、今まで訪ねられずにいました。
だけどね!今年に入ってから場所を教えていただいちゃったんですよ!!
心安寺の旧墓所は畠山墓所の裏手あたりの一帯で、木村家の墓所もそこにあるそうで。
個人的に昔の地図のせいで大隣寺あたりにあるのかと思い込んでたのでかなりびっくりでした。
…なので、行ってみました!かなり道が険しくて腰が引けましたけどレッツチャレンジ!
結果、あちこち彷徨った果に枯葉まみれになりながらもなんとか到着。(ちなみにその途中で徳田鉄吉の墓所も発見しました!)
…は、良いのですが、今度は丈太郎の墓石がどれだかわからない。
しばらく風化した碑文の数々とにらめっこした挙句、例の碑文らしき文面が刻まれた墓石を発見、特定しました。

…ふー、なんだこの達成感。(それはいいから手を合わせろ)

で、手を合わせてきたわけですが、やはりずっと訪れてみたいと思っていただけに嬉しかったです。
先祖と子孫みたいな直接的なつながりがあるわけではないですが、なんやかんやで彼を知ったことによってここまで二本松にのめり込んだのはとりあえず事実なので。
そういうことを心の中でぼそぼそ唱えて、ついでにお騒がせして申し訳ないとぺこぺこ謝ってから墓所を後にしました。

そこから、今回のメイン目的のひとつでもあった菊人形を見に行きました。

紅葉でひときわ美しい霞ヶ城はあちこちに菊が飾られ、人手も多くお祭りムード。
箕輪門では今年の大河の主人公・山本(時々川崎だったり新島だったり)八重が迎えてくれます。

どことなく綾瀬はるか似。

ちなみにこの日、菊人形会場内ではあちこちに設置されたスピーカーから様々な音楽(基本的に演歌調)が流れておりました。
んで、まあ、そのスピーカーのうちの一つがどうも大城代の戦死の地碑のすぐうしろにあったみたいでして。
大城代(の碑)の方から大音響で流れてくるド演歌。
なのにどういうわけか、相変わらず誰もあの碑に注目しないですよねー…。
音楽聞こえてくる方に顔向けたら絶対目に入ると思うんですけどねー…。

一日中演歌数曲の無限ループを聴くはめになっているであろう大城代に思いを馳せつつ、いざ会場入り!
見事な大輪の菊がたくさん展示されている中を進むと、いよいよ菊人形の展示に突入します。
まず最初の菊人形はこちら!

ジャアアアアン!
18話。左から八重、成田才次郎、岡山篤次郎、大島七郎、木村銃太郎。謎の人選。
まずはじめにこれを持ってくるところがなんとも「二本松の菊人形」らしいですね!
大河の主人公と二本松少年隊が同じ画面の中で共演した、今回の菊人形祭りのテーマを象徴したような場面です。
なお、登場していたかどうかも怪しい七郎が菊人形になった影で、セリフもあったはずの尚之介と衛守さんは空気となった模様。

以下、順を追って菊人形で再現された名場面たちを見ていきましょう。もうお祭りは終わってるので、ネタバレ解禁ですよね!ね!
解説板を撮るのをうっかり忘れたので、作品タイトルが実際のものとは異なる可能性しかありませんが、ご了承ください。


山本家。左から権八、佐久、八重、覚馬。
兄に砲術を習う娘の姿を微笑ましく見ている両親、という図でしょうか。棒立ちだけど。
しっかしおっかさま若えな!ぶっちゃけ息子より若く見えるな!髪型なんか高島田だし!若作りにしてもそれはアウトだろ!なお、三郎は空気です。


容保登場。左からモブ兵士1号、松平容保、八重、川崎尚之介。
ついに会津藩主の登場です!いやあイケメンですね!
そして凄いんですよ!この菊人形では、ドラマ本編では見られなかったあるものを見ることができるんです。

容保公のヒゲ。
ドラマでは影も形もなかった謎の髭容保!これは貴重ですよ!
容保ファンの皆さん、今年のトレンドはちょび髭で決まりだね!


開城。左からモブ兵士2号3号、八重、新政府側のモブ兵士1号、中村半次郎。
話は一気に進み、会津鶴ヶ城は落城した模様です。
モブたちの痛々しい包帯と、背景に描かれたボロボロの鶴ヶ城が激戦の様と敗北の悲哀を偲ばせます。
何故八重が白旗の少女やってるのかは謎。


看護婦さんたち。中央が八重。
白衣の天使たちと一番はしっこのおっさんの対比が鮮やかな一場面。


同志社。左から八重、襄、犬、車夫。
とりあえずそのコーギーと車夫は一体何者なんだ。友情出演か。
主人公夫妻とコーギーと車夫は一体同志社前で何をしているのだろうかと隠れたドラマに思いを馳せたくなります。

…とまあ、いい加減な写真と説明で申し訳ありませんでしたがここで大河コーナーは一旦終了。二本松少年隊のコーナーに突入します。
…みなさん、なんか戊辰戦争のシーン少ないなあって思いませんでした?
思いましたよね?
私は思いました。
戊辰戦争は間違いなくあの大河の山場だったはずなのですがねえ…と。

しかし皆さん、お忘れなく。
今回のテーマは「八重と二本松少年隊」。
そう、戊辰要素は少年隊にとってあるんですよ!


二本松少年隊結成の場面です。右から銃太郎、才次郎、篤次郎、辰弥、鉄吉。やっぱり謎の人選。
菊人形のあどけない表情に、「ああ、本当に子供が戦争に行ったんだなあ」としんみりしてる方が多かった場面です。
なのに私思わず一人で噴いてしまったのですが、皆様にはおわかりいただけただろうか。
もう一度(アップで)ご覧いただこう。
(※クリックすると拡大されます)

篤次郎だけ顔違いすぎんだろ!!一人だけ無駄にイケメンすぎるだろ!!!!
実際岡山篤次郎は美少年であったと伝えられています。きっとそのことを表現したのでしょう。
歴史を知っていればより楽しめるということで、菊人形って奥が深いのです。
しかしここまで差別的なデザインにする必要は果たしてあったのだろうか。
そして衛守さんは相変わらず空気です。
地味に背景の絵の中に描かれた人たちの顔がおもろいけど、衛守さんあの中の誰かなのかな!そうだといいな!(良いのか)


大壇口の戦い。
左から銃太郎、才次郎、篤次郎、久保豊三郎という最早安定の謎人選。私が行った時は篤次郎と豊三郎の間に「菊着せ替え中」の札が立っていたので、一人戦線離脱してる奴がいたようです。誰だろうな。
でもまあ、それはいいとして。

アレエエエエエ才次郎顔変わってるうウウウウ!?

さっきの篤次郎みたいなイケメンになってるウウウウウ!?

銃太郎も篤次郎も変わってないのに何故。
果たして出陣から戦闘開始までのごく短い間に才次郎の身に何が起こったのでしょうか。
ちなみに今回の菊人形にて、才次郎人形は18話、結成、大壇口の三場面に登場していますが、改めて見直してみると18話の場面でもしっかりばっちりイケメンでした。
…これはむしろ「結成の時だけ才次郎に何かが起こった」と考えるべきですね。あの時だけなんかあったんですよきっと。あ、多分ようやく藩のために戦える喜びで顔立ちが別人に変わるレベルの笑顔を浮かべてたんだな。うん、きっとそれだ。
そしてとことん空気の衛守さん。結局最後まで空気でしたねこの人。
…でも大丈夫。たとえ姿が見えなくても、二階堂衛守は生きている。何よりも、君の胸の内に。

…とまあ、二本松少年隊はこの2場面。

でもそれだけじゃなかったんですよ。
二本松コーナーには二本松少年隊の紹介スペースもあったんです!さすが二本松!
ここで展示されている紙芝居が素晴らしかったです。
当サイトからもリンクを貼らせていただいている「二本松堂」の篤本純之介様が絵を、「るり池のほとり」の紫乃森統子様が文章を担当していらっしゃいました。篤次郎を中心に二本松少年隊を描いたものなんですけどこれが絵も文章も素敵で否応なしに切なくなって(´;ω;`)ブッワア
イベントの時などには展示されるようですので、未見の方は必見ですよ!

そしてラスト。


八重と西郷頼母という謎のツーショット。
西郷頼母が!!!やっぱり西田敏行似だけど!!!微妙に若い!!!!!!!(衝撃)

こうして一通り菊人形は見終わったわけですが、そのあとは紅葉の季節を迎えた城山をぶらぶら散歩しておりました。
…ら。

らららららラッキー!!!!!


城跡発掘調査の現地説明会に立ち会えちゃった!
案内の人に通りすがりでも普通に参加して良いって言われたので、ありがたく隅っこで拝聴しておりました。
資料とか貰えちゃってね!ラッキー超ラッキー!
この日の説明会は乙森(本城東側の平場。普段は駐車場みたいになってるとこ)を調査対象とした第20次発掘調査のものでした。
こんなサイトやってる割に歴史学の素養も考古学の知識もないド素人(しかもあたまの出来もよろしくない)な私ですので今ひとつ理解しきれないところもありましたが、こういう場を訪れたのは初めてだったので、何もかも興味深かったです。
どうも乙森は江戸期以前に火砕流の超硬い地面を削平、盛土整地拡張して現在の広さにしたものだそうですね。
そしてその頃軍事的な施設が建てられていた可能性もあるそうで。
ついでに城内にはなんだかわけのわからん石垣が大量にあることも分かりました。
城の図面なんかにも記載されてなかったりするそうですよ。それきっと図面担当の人もめんどくさくなって投げてたんですよきっと。

説明会後はもうすこしぶらぶらしてから、霞ヶ城を後にし、今回のメイン目的その2である歴史資料館へ。
先日ブログにもちらっと書いたんですけど、現在(11月24日まで)歴史資料館では「幕末の二本松藩」展を開催中です。普段は展示されていない幕末や戊辰戦争関連のあれやこれやが見られる絶好のチャンスなんですよ。
というわけで勇んで展示室に入っていったわけなんですが。

まあ見事に釘付けになりましたよね。

前々から見たいと思っていた武さあ(下河辺武司)の天保銭もついに見られましたし!実際に見てみるとへし折れた金属って謎の迫力がありますよね。なんやかんや言って銃弾の威力はやっぱりすごいなあと思いました。
…んで。
今回結構印象的だったのは文書や絵図面の展示でした。
普段展示されていない文書、絵図面として武司の手による「戦歴書」「行孝(武司)日誌」「追悼書」や、「山岡紋太遺書」「謝罪降伏嘆願書及び御達書写」「二本松藩大手門地割図」「二本松少年隊奮戦之図」などなど、色々見ることができたんですよ。そんで、そのうちの文書のいくつかはガラスケース越しとはいえ一部本文を読むこともできましてね。

思わずガッツリ読んだ。(何やってんのおおお)

いや所詮素人なんで昔の文字をスラスラ読めるわけはないんですけど、今回読みやすいものが多かったので、分かる範囲で頑張ってみました。
そしたら、結構発見がありました。
特に武司の戦歴書はちょっと意外なこと書いてありましたね。今までいろんな本で彼は「所属隊不明」になってたんですけど、この文書には「種橋主馬助隊に所属していた」ってあったんですよ。大壇口で戦ってたらしい(でも種橋隊って大壇口じゃないよなあ…ううむ)ことや、どうも大桶勝十郎や木村丈太郎、遊佐辰弥らと一緒に行動してたっぽいことを匂わせる記述もありました。ほおおおお!

あと、発見とかとはあんまり関係ないんですけど、「山岡紋太遺書」は印象に残ってます。
遺書っていうか糠沢上之内で戦死した山岡紋太(18)が死ぬ前に友人に送ってきた手紙なんですけどね。
なんかセンチメンタルな漢詩が書いてありまして。(月を見て友人を偲ぶ云々みたいなやつ)
で、末尾に3人(宛先にした友人3人のこと)以外には見せないでねって書き添えてあるんですよ。

なのにね!

145年の時を越えてまさかの大公開だよ!どんまい!!

皆さんも後世に残すものには気を使ったほうがイイですよ!何されるかわからないからね!!!

それでふと考えたんですが、どうして彼はこれを内緒にしたかったのかなあ。
自作の漢詩が恥ずかしいからかなとも思ったんですが、あのくらい別に晒したって良いと思いますけどね私は。漢詩のことよくわかんないけど。自信持って紋太くん!
そうじゃなかったらもしかして漢詩に擬した秘密のメッセージだったりしたのかな!!!(すごい発想の飛躍)
だったらすごいロマンを掻き立てられるよね!!!(人のプライベートになんてことを)
真実は当人のみぞ知る。いつかあの世で逢えたら訊いてみたい。(やめて)

ついでに今回市史を一冊購入したんですけどね。
なんか、お持ち帰り用に市内の某お菓子屋さんの紙袋に入れてくださいました。
…なんで菓子屋。
しかもその紙袋、その後東京にたどり着いた辺りでいきなり底が抜けた。
…なんでだろう。

とにかく、二本松藩の幕末や戊辰戦争に興味ある方は是非この機会に歴史資料館を訪れてみてはいかがでしょうか。あと残り期間ちょっとしかないけど。行かれる方は急いでね!

こうして基本的に二本松で今回やりたいと思っていたことは達成したわけですので、その後はのんびりお土産買ったり、ちょっとした史跡を巡ったりして時間を過ごし、夕方に東京へ戻りました。
今回は割とのんびりめに過ごしたのですが、楽しかったです。
お天気も良かったし、紅葉も綺麗で歩いていてとても気持ちが良かったです。
二本松の地で素晴らしい週末を過ごせたことをとても嬉しく思います。

…ああああ、また行きたいなあああああ(行ったばっかじゃねーか)
なんか、学校や家の都合なんかもあるので大体日帰り旅行なんですけど、新幹線の切符取るときいつも「日帰りでよろしいんですか?」って言われるんですよね。
本心からいわせてもらえれば全然良くないよ…!
ほんとは数日滞在したいレベルだよ…!

うん、またすぐに行くよ二本松!(度々すみませんねホント)

おまけ。
霞ヶ城の紅葉写真。




では今日はこのへんで!
スポンサーサイト



2013.11.19 Tue l l コメント (0) トラックバック (0) l top